障害児教育

2008/03/23

オーガニックマーケットがスタート

 いつも、本業でお世話になっているNPO法人高知県有機農業研究会さんが主催する(県も後援させてもらってます)、~港の土曜市~高知オーガニックマーケットが桟橋のわんぱーくこうち東隣でスタートしました。これから、毎週土曜日に開催予定。
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 今夜は久しぶりに、我が家で宴会でしたので、食材さがしに、一家で出かけました。駐車場がすぐ横ですから車いす家族でもすごく楽。しかも、休憩所がちゃんとあって、これも助かりました。でも、すごい人気、人出で買い物は大変。1000人以上のお客さんがあったそうです。南国市の井上さんなど知り合いのお店で、宴会用食材をゲットできました。ついでに、県内で有機農業に取り組む主要メンバーがそれっていましたので、仕事の打ち合わせもずいぶんできました。
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 農産物は有機無農薬、加工食品は無添加を基本とする曜市は全国でもめずらしいと思います。ほとんどの店が昼過ぎに完売とのことで、初日と言うことを差し引いても、今日の盛況ぶりには驚きです。若い人も多く、10年近く前に行った、サンスランシスコのファーマーズマーケットに雰囲気が似ています。サンフランシスコも港の近くの公園でやってましたが、生産者以外に、近所の人気レストラン、カフェなどが屋台を出していて、早朝の買い物ついでに人気店のメニューで朝食を、そんな人たちを多く見かけました。高知のマーケットにも、コーヒーや軽食お店が出ていましたが、高知の人はモーニング・サービス好きですから、そんなスタイルが人を呼ぶかもしれません。
 曜市の盛んな高知市ですが、土曜日は曜市がなくなってましたから、観光面でも、良い取り組みです。
 2008年3月22日は歴史的な日になるかもしれません。継続し、本物になってもらいたい。

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2008/02/26

最後の一週間になりました。

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 高知市東部福祉センター内にある、障害児の放課後の見守り施設(表現が正しくないかもしれません)、「すまいる」です。我が家の姉妹は春野にある養護学校からスクールバスに乗って高須の福祉センターまで帰ってくると、僕らが迎えに行けるまでの1時間半ほどをこの「すまいる」で過ごします。
 このような、施設、サービスがなければ、夫婦共働きは続けてこられませんでした。9時から3時までの学校や、デイサービスしか頼るところがなく、朝夕のわずか1~2時間、障害のある子どもをあずかってもらえるところがなく、仕事を辞めるしかなかったお母さん達がたくさんいました。我が家も、何度かもう仕事を辞めるしかないところまできながら、奇跡的とも言えるような第三者の善意、新たな施設、制度のスタートにより、何とか一家4人、現在の暮らしを続けてきました。一昔前までは、障害のある子どもは基本的に親兄弟が世話すべきという風潮があったように思います。はっきりと口に出さなくても、そういう考え方の人が福祉の仕事を普通にしていました。
 長女は今週土曜日、養護学校高等部を卒業します。翌週から、早速、香南市にあるデイサービス施設にお世話になることが決まっています。「すまいる」の仲間たちと過ごせるのは、あと、三日間になりました。
 幸い、ほとんど病気をすることのない子ども達には、もっと多くの人たちとの出会い、新しい場所での新しい経験をさせてやりたいと思っています。

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2008/02/22

農場長は18才、そして次のステップへ

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 長女の誕生日から、一週間経ってしまいました。小さな頃、長期入院をしたこともありましたが、基本的には元気で、手のかからない子どもでした。彼女に関わってくださった全ての皆さんに感謝しています。我が家では「じからしゃへ」というのが最近の流行語です。「障害児から障害者へ」なんですけど。文部科学省から厚生労働省へと言うことなんです。普段、お世話になることになる施設や制度もかわりますので、いろんな手続き等で結構、忙しいです。
 そんな日々ですが、本業のほうも今年度の重要な会議が無事とは言えませんが、なんとか終わりほっとしています。

 長女は須崎で生まれましたが、医大病院に入院していたこともあり、高知市に引っ越し。現在のハウス野菜での減農薬栽培技術(IPM)普及のきっかけになった、マルハナバチをナスの交配に利用する技術の現場試験を高知で開始したのがこの頃でした。南国市のナス農家さんのハウスから、直接、子どもの入院する病院に行ったり、そんな生活でした。
 つまり、長女の生長と同時進行で、僕は高知の基幹産業ともいえるハウス園芸での環境負荷低減と生産物の安全性向上(わかりにくいですね、まあ、減農薬栽培の普及)という仕事を一貫してやらしてもらってきたことになります。

 昨日の会議のメンバーに有機農業を実践されている方が加わりました。有機農業の広い定義は、化学的に合成された肥料、農薬は使わない、遺伝子組み換え技術は使わないということになりますので、基本的に今までやって来た減農薬とは異なる考え方に立っているとも言えます。また、関係機関のみなさんからもたくさんご意見いただきましたが、10年前、いや3年前と比べても大きな変化、進歩だと感じました。
 この春、長女の人生も僕の仕事も、次のステップに進まなければなりません。
 次は流通対策(高知の農産物をいかに販売していくか)ともう一つ、最重要課題は山間地です。
 就職した頃、当時の知事の口癖は山間部のしわ伸ばしでした。もう、かけ声だけではどうしようもなくなりました。もう一度、農業と林業の新しい関係づくりが必要ではないでしょうか。キーワードは環境保全(生物多様性)、温暖化防止、集落機能の維持、そして重要なスパイスは有機農業。

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2007/04/06

春休みも終わり。

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 生活全般に介助の必要な子どもと暮らしていると、春休みなど長期の休みの過ごし方に苦労します。つまり、学校のあるときは、朝、出勤前にスクールバスに乗せてしまうと、二人の子どもは学校と福祉施設で夕方まで、元気に過ごしています。
 休み中は、家の近くの福祉センターにお弁当を持って通っていますが、始まりの時間に連れて行っていては、仕事に遅れてしまいます。うちの子どもたちは、福祉センターの建物の中で託児施設が始まるまでの小一時間を介護ボランティアの方と過ごしています。僕ら夫婦は子どもをボランティアさんにあずけてから、職場に向かえば、ちゃんと間に合う。
 公的な福祉制度は必ずしもよい方向に行っているとは言えない面もありますが、一方で、民間のボランティア団体の活動などが活発になっているようにも感じます。うちのような、ある意味特殊なケースにも対応してもらえる。
 3週間の春休み、一日も休まずお世話になったボランティアさんには毎日、絵本を読んだり、歌を歌ったりしていただき、子どもたちは、朝から上機嫌でした。

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2006/10/15

UDON、食べてきました。

 昨日は休日出勤(けんちゃんがISOまつりのレポートをしてくれました。)の後、後片付けを同僚にまかせて、学校であった「父親だけの座談会」なるものに参加しました。これは若草養護の保護者、先生の手作り冊子「むすぶ」に掲載されるそうです。障害児を育てていく上での、親父の役割、苦労、愚痴、そして子どもや家族への思いなどなど。編集段階でかなりカットされそうな?内容でした。
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 そして、今日は自分の勉強のために高松へ。会場の商工会議所は県庁通りという昔のメインストリート?にありましたが、日曜日とはいえシャッターのしまった商店の多いのに驚かされました。何処もいっしょの地方都市の現状なのかもしれません。一方、新しくなった(かなり前か?)高松駅。秋に日に映えるシンボルタワーですが、なんか人通りも少なく、物寂しい感じ。高知駅周辺はどんなになるのでしょうか?ホーム内に宇高連絡船の名物だったうどん屋さんが復活しているのは知っていましたが、なんとここ、駅の外からも、うどんを買うことができます。駅舎と隣のビルの間の路地奥。宇高連絡船のうどんを食べたのは、大学生の時が最後だったと思います。昔すぎて、比較のしようもなかったかけうどん、300円でした。
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2006/04/06

とさのきょういく

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 「とさのきょういく」県教委教育政策課がつくっている広報誌です。高校生以下の子どもさんがおられる方はご覧になったことがあると思います。学校をつうじ、各家庭に配布されているはずです。最新号は食育と特別支援教育の記事が中心でしたので、じっくり読みましたが、普段はななめ読みです。ただ、大崎教育長さんの「こころの黒板」はいつも楽しみにしています。
 昨年、参加させていただいていた特別支援教育に関する委員会では、いつも僕の席の斜め横が教育長さんの席でした。最初、緊張してしまいましたが、2回目、3回目頃から、視界のすみに熱心にメモを取られる教育長さんを感じながら、同時に妙な居心地のよさを感じていたように思います。直接、お話することもありませんでしたが、書かれているエッセイそのままの教育長さんの人柄に触れることがでたようで、それも、楽しい思い出となっています。
 明日から新学期です。必要な提出書類など書いて、こんなことを考えていました。


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2006/04/02

激しい雨のち晴れ

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 長女の元クラスメイト、Sくんのお葬式に二人で出てました。養護学校に入学して10年、クラスメイトを見送るのは3人目なんです。Sくんは小学部に入学したとき、最初に声をかけてくれ、その数日後にはプローポーズもしてくれました。長女は彼の歌う演歌が大好きで、いっしょに行った修学旅行の歌集には都はるみがのってましたね。先になくなってしまったHくんといっしょに空を飛びたいという彼の夢はたくさんの大人の心を動かし、Hくんの写真をかかえた彼は、熱気球で春野の空を舞いました。
 わずか17才で旅立った彼は、本当にたくさんの人たちの心を打ち続けてきたと思います。お葬式の帰り道、ワイパーが効かないほどの高知特有の激しい雨になり、そして、30分後には柔らかい春の陽射しがあふれました。まるで、Sくんが「泣くだけないたら、さあ-、元気に行こうぜ」と言ってくれているようです。
 長女は春から高等部2年になります。小学部入学当時から比べれば、制度や施設は充実してきたかもしれませんが、まだまだ、厳しい。いや、この4月から施行された障害者自立支援法などは、まかり間違えば、自立阻害法になってしまうような気がしています。
 Sくん、Hくん、Yくんはきっと見守ってくれていますから、子どもたちといっしょに頑張らないとね。
 

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2006/03/16

卒業式で泣いて、考えたこと。

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 昨日は高知若草養護学校(小学部、中学部)の卒業式でした。小学部2名、中学部4名が卒業式をむかえられました。最近は何かに感動して泣くことなどあまりなくなりましたが、「学校」だけは別です。卒業式だけでなく、体育祭や文化祭でも必ず泣かされます(もちろん、こっそりですよ)。
手作りの「さおり織り」でドレスアップした真衣ちゃんです

 ここ数年PTA活動などのお手伝いをさせてもらっていますが、それらしいことはほとんどできていません。ただ、 いわゆる、あて職でなったとは言え、「高知県における特別支援教育の在り方に関する検討委員会」の仕事はちゃんとしないといけないなあと思っていました。最後は年末の忙しい時期とかさなったのですが、これほど、同じ資料、同じ文章を何度も繰りかえし読んだことは最近ありませんでした。事務局はじめ委員会長、副会長さんのご努力で、国の方針をふまえつつ、高知の独自性をちゃんと考慮したまとめの内容になっていると思っています。そして、教育長さんに渡したから終わったのではなく、全てこれからがスタートなのだと思います。
 自分自身の仕事のことを考えても、国のいうこときいていれば、お金がもらえる時代は終わりでしょう。
 「21世紀は環境の世紀」、「環境保全型農業」、「地産地消」、「食育」などなど、お題目は十分唱えてきましたから、具体的目標と期限を定めた本当のスタートをきりたいですね(あくまで僕の個人的な感想、評価ですから)。

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2005/11/30

久しぶりに受験生

 来月、普及指導員資格試験というヤツをうけることになっています。最近(と言っても10年近く前)受けた試験は小型船舶とかISO監査員とかお金払って、講習後に試験みたいなやつで、どちらかというと、資格を取らしてくれるのが前提みたいな試験ですから、ちょっと様子が違います。また、今年はあるところの職員採用試験の面接官に雇われたりしていたので、この歳で自分自身が受験生になるとはねといった感じです。この試験の前に、僕と僕の家族、仲間たちにとって本当に大事な「特別支援教育の在り方検討委員会」(本年度審議のまとめです)があるので、夜はまずこちらに集中。夏の間、本業が疎かになっていたので、最近、昼間も大忙しです。以前、お金は働く人が好きという都々逸のことを書きましたが、仕事は仕事嫌いの人のところにやってきますね。この本業(お金をもらっているという意味ですが、僕のホントの本業は何なんでしょう?)関係試験はもちろんぶっつけ本番になるでしょうね。
 この試験、最近法改正があって免許制度の見直しがあり、各都道府県の農業改良普及所(名称はいろいろですが)の技術関係職員さんは基本的に持っていないといけない資格です。ですので、受験のホームページまでできてる。また、もちろん学校の先生も教員免許がいりますよね。養護学校関係ではプラス特殊教育教諭免許というのがあります。実は盲聾養護学校の先生が皆さんこの免許を持っているわけではない。無くても、制度上養護学校の先生はできるのです。ただ、必要な専門的知識、技能を持っているのかという指標としては使われるようで、高知県の先生方はこの免許の保有率が全国平均に比べてきわめて低いそうです。では、高知の盲聾養護学校の教育レベルに問題があるのかというと、ここ数年、全国や中四国のPTA会議等に出席させていただいて、他県の状況を見てきた経験から言うと、決してそんなことはない。僕の知っている先生方(免許の所有は知りませんが)は皆さん、熱心で優秀。なにより温かいです(これが一番大事)。一方で、欲もないかな。でも、僕は好きです(これが一番大事)。
 僕ら農業関係職員の資格同様、教員免許制度も見直しが行われているそうですが、資格取得を目的とした、はっきり言えば保有率向上を目的とした方策に流れないでほしいと願っています。一番大事なことは子どもに、僕らの仕事であれば農家の皆さんや作物にいかに多くの時間(物理的なことだけではないですが)向き合うかが一番重要なことだと考えるからです。子どもの親として、担任の先生が難しい資格を持っているかどうかは関心ありませんね。教育委員会の皆さんはそうはいかないでしょうけど。

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2005/07/09

コミュニティーづくりと教育改革

 昨日、高知市で開催された中国四国地区高等学校PTA連合会大会に参加してました。高校は関係ないやろと言われるかもしれませんが、高等学校PTA連合会は県立高校PTAの集まりなのですが、同じ県立学校の肢体不自由・盲・聾養護学校PTAも仲間に入ってます。また、今回はシンポジウムのパネリストに若草養護PTAのお母さんがなってましたので、応援?かねての参加です。
さて、若草のお母さんの話は大型バスを連ねて(参加者1600人です)、もしかすると観光気分でやってきた高校PTAの役員さんにも少しは届いたようで、僕は会場の隅で気持ちよくなっていたのですが、やはりパネリストだった大崎教育長さんが心に残るお話をされました。
 
 高知の不登校、低学力等の問題は学校だけでは解決できない。家庭・学校・地域の連携が必要。特に地域で育てるにはコミュニティーの存在は欠かせない。産業構造の変化の中で、崩壊していった地域コミュニティーは従来のかたちでの復活は難しいが、教育の立て直しは、つまりコミュニティーづくりからなんだ。

 大崎さんは南国市の奈路小学校の例などをあげられ、学校を核にしたコミュニティーの再生を訴えられました。

 以前、地元ラジオ番組出させていただき、その番組関係者の交流会にも参加させていただいてます。放送メディアとインターネット(特にブログ)を媒介とした新しいコミュニティーに発展しつつあると感じています。
 僕は高知市の旧鉄砲町(現桜井町)生まれなのですが、実は生家(といっても親父のつとめていた会社の借り上げ社宅、長屋ですが)が残っています。正確には1年ほど前まで残っていたのを確認していますが、その後は知りません。江の口川沿いのこのあたりは時間の流れが止まってしまったような、寂しいところになっていました。コミュニティーの再生(又は維持)という問題は、過疎化の進む山間部と同様に、都市部でも深刻なのかもしれません。何も核になるのは学校でなくても、もしかすると、美味しいコーヒー屋でも町のホットステーションでも、託児所、宅老所でもよいのかもしれません。そこに例えば行政の柔軟な支援が少しあれば、新しいコミュニテーづくりにつながるのではと思います。

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2005/06/16

特別支援教育の検討委員会

 今日は昼から休みをもらって、、「高知県における特別支援教育の在り方に関する検討委員会」の第2回委員会に出席していました。先月も僕は場違いかなと書きましたが、今日は盲学校、聾学校の今後の在り方ということで、全くの素人で出席です。盲聾学校は生徒数の減少、現在ある鍼灸師や美理容師などの高等部産業技術科、専攻科の見直しなどが課題ですが、僕自身も25人程度の生徒数に50人以上の先生数で、これは効率的にやれる方法があるのではと思っていました。大学の先生なども専門コースの見直し的な意見を述べられましたが、一方、盲聾学校保護者の委員さんは、健常者と比べて圧倒的に入ってくる情報量の少ない子供たちは、職業訓練的な勉強をする中で、本当の学力(コミニケーション力)をつけているんだという主張をされました。普通科(もちろんあります)で普通高校と同じカリキュラムやっても身に付かない現状もあるんだと。この、お母さんの意見には目からウロコ、また、他の話の内容にも感動しました。堀内桂さんや忍足亜希子さんはエリートだろうとは思っていましたが、やはり現実は厳しいようです。盲や聾の単一障害、軽い重複障害の子供さんの多くが盲聾学校の教育の中だけでは、自立に向けて必要最低限の学力が身に付かない現実があるようにも聞こえたのですが.(間違ってたらごめんなさい)。

 たまに、荒野の十字路の真ん中で大きな子供をかかえて途方にくれている自分の夢を見ます(なぜかとなりにギターケースをもった黒人のおっさんがいます。ロバート・ジョンソン? 彼には悪魔に魂を売って、驚異的なギターテクニックを手に入れたという伝説があります。深層心理のあらわれなのでしょうか)。つまり、僕自身の最大の関心事は子供の状態からみて、学校体制がどうこうよりは(もちろん密接に関係しますが)、卒業後、さらに僕らが死んだ後の子供のことです。
 一人では食事もトイレもできない自分や仲間の子供たち。親がいなくなっても、社会の一員として幸せに暮らしていけるシステムづくりをまず考えないと。全くないわけではありませんが、まだまだ、不十分。そのために、頑張ろうと思っています。それが、うちの子供たちの自立なのかもしれません。もちろん特別支援教育制度の一つの目玉、「個別の教育支援計画」づくりは乳幼児期から学校卒業後までを通じ、一貫して的確な教育的支援を関係機関と一緒にやりましょうということですから、実効のあるシステムづくりに少しでも役に立てればと思っています。もちろん、システムを動かすのは人ですから、人づくりが一番です。

 何かの縁でこのブログを見てくださった、特に肢体不自由養護学校の関係者のみなさん。何でも結構です。コメントでもメールでも、いただけたらうれしいです。


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2005/05/24

これは大仕事です。

 先週の5月19日、「高知県における特別支援教育の在り方に関する検討委員会」の第一回委員会に出席していました。僕はちょうどPTA役員をやってることもあり、いわゆるあて職みたいなことで、準備会の時から委員を仰せつかっています。本番になったので、公開で開催されてますし、意見も募集してますから近いうちに特別支援教育課のサイトには議事録なども公開されると思いますので、内容はそちらを見ていただくことに。
 はっきり言って、僕の存在は場違いのようにも思いますが、せっかくチャンスを与えてもらったので、出来るだけ、僕しか言わないようなことをと思っています。既存の盲・聾・養護学校の問題だけでなく、LD,ADHDや高機能自閉症の子供さんの支援体制にも関わって来ますから、本業のように簡単に「よっしゃ、それで行こ。」とは言えませんよね。本業を適当にやってるわけではありませんが・・・・・。
 ひとつ、委員会で記憶に残ったのは、教育長さんが最後まで出席していたこと。公開の委員会ということもあったかもしれませんが、お疲れ様でした。
 来月初めに、高知若草養護学校が当番校で中国四国ブロックの肢体不自由養護学校PTA総会を高知でやることになっていたりで、西表の後、僕の身のまわりはPTA活動になってます。
 

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2005/02/23

特別支援教育に関する検討会に出席してました。

子供二人が春野にある高知若草養護学校に通ってる関係で「高知県における特別支援教育の在り方に関する検討委員会準備会」なるものに保護者代表の委員として出席させていただきました。この会はあくまで準備会で非公開ですから、内容についてはあまりふれませんが、まさに障害児教育のシステムが大きく変わろうとしていることを実感しています。例えば、養護学校(県下に一校というケースもあり、寄宿舎に入ってる子供さんも多い)に入学したら、それまで生活していた地元地域とのつながりが切れてしまうことが多いのが残念でならなかったのですが、それが、システムとして改善される可能性があるということ。もちろんこれはほんの一部ですが、関連して純生の絵日記というすばらしいブログをみつけました。また、特別支援教育全般については県教委特別支援教育課のホームページもご覧ください。


昨日で準備会は終わり、僕はお役ご免。検討内容は会長さん中心に取りまとめられ、本検討員会に引き継がれるそうです。原則公開でやられるそうですので、また、注目していきたいと思っています。

たぶん、4月以降に続く。

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